帰りの富士を書くつもりだったけど、あっという間の新幹線だった。
実家に戻る前は、少しどきどきがあったけど、
不思議と流れに乗る感じだった。
ここで生活するのが普通だと。
そして、生活する場所になった途端、見え方が変わってくるから不思議だ。単なる実家、住み慣れた街だというのに。

そして、ニ拠点生活をするには、とても良いタイミングであることも再認識。
なぜこんなにスムーズなのかというと、
コロナ禍では、芦屋での暮らしは、東京でのおこもり生活と、ほぼ変わらないからだ。外出する機会が少ないから洋服も室内用だし、メイク用品も不要。そもそも引越し準備するものが少ない。
代替が効かないとするとレッスンと庄司さんぐらい。マッサージは代替できる(和田さん、植木さんごめん)

石井ゆかりの本を見ると、二月は「人生のターニングポイント」「誰かの悩みが行動を後押しする
」と。まさにそうだな。

これが本格的なリモート生活になるのかは、まだ分からないけど、芦屋にいることで増えるネットワークや刺激もあるだろうし、それが自然ならそれでいいのかも。

55歳に向けて何か始めなきゃと思っていたけど、探さなくても自然に導かれることもあるのだろう。今は深く考え過ぎずに、ケセラセラ。

うとうとしてたのに、富士山の横を通る時に目が覚めた。 夕方だけど、白い雪が綺麗だ。富士山は凛としている。 帰り道でまた富士山を見るときの私はどうなってるかな。ガラガラの新幹線で1人思う。

iphoneのアルバムの中にあるFor You。自分で撮った写真を勝手にアソートして、音楽付きスライドにしてくれる自動編集機能。

「一年を振り返って 2020年」

このタイトルに惹かれて再生。

コロナで、大小数々のイベント的なことが悉くなくなり、思い出に残らないあっという間の一年だった、とよく言われる。

でも、このスライドショー見てたら、コロナ禍での気持ちの移り変わりや、そんな中での些細な幸せとかが溢れてる。

あの時こうだったなー、と色んなことが思い出されるいいスライドショーだ。

3/4でテレワーク生活まる一年。

占いを信じるタイプかと聞かれると、まあ信じる。特に四柱推命をベースとした、大きな人生のバイオリズムはあると思ってる。

かと言って、占いに一喜一憂はしないし、良い年は信じないけど、よくない年は、謙虚に、いつもより注意深くならなきゃ、と思ってる(出来ないけど笑)

そんな中、今年は細木数子の六星占術で、見事、大殺界ど真ん中。他の占いでも、この年周りは良くないので、大小様々なバイオリズムどれをとっても悪い方向に振れる、悪い星巡りなんだと思う。

でも、大殺界に入る前年はコロナがあったので、必然的にひとりで閉じこもるテレワーク生活をする事で、自ら災いを呼び込む確率は低かったと思う(ソロ活は結構楽しめた)

大殺界の今年も引きこもり生活は続く。そして、これまで先延ばしにしてきた親の介護に向き合わざるを得なくなってきたけど、リモートでどこでも仕事ができるようになるまで、神様が待っていてくれたかのようなタイミング。

確かに、今なら実家に帰っても仕事は続けられる。このまま、親の下の世話一つせずに、親が死んでしまって良いものか…と考えていたこの頃だったし、西方面の引力に呼ばれているように感じるし、意外と拒絶感もない。

さらには、実家の近くに住む親友が乳がんで辛い思いしてるのに、そばにいてあげられないもどかしさも、解消できたりする。

悪い運勢かもしれないけど、自然に受け入れられている。流れだな。

一時的なリモートワークになるのか、東京から拠点を移すことになるのか、先のことはまだわからない。でも今は呼ばれた方向に行こう。そこから次かな道が開けると信じて。


コロナで変わったことはたくさんあるけど、自分でもビックリなのは、講談にハマったこと。

コロナ前から、いつか末廣亭に行ってみたいな、と思いつつ、きっかけがなかったのに、ここ数ヶ月は1-2回/月のペースで行ってるw しかも一人で!コロナ禍だから、それもよし。

きっかけは神田伯山!
チケットが取れないと言われながら、たまたま仕事関係で生の講談を聞く機会があり、一瞬で魅了されてしまった。

話を聞いているだけなのに、映画のように情景が目に浮かぶ、不思議な感覚。気がついたら物語にズボッと入ってた😊

そこからは、Youtubeやら、ラジオにテレビに、末廣亭!そして寄席好きになり落語も聴くように。すごい変化。と言っても、まだ6ヶ月ほどのキャリアですが笑

正直、なぜここまでハマるのか、自分でもまだよくわからない。でもそれでいい。
時間をかけて長く楽しみたい趣味を見つけられたのはコロナのお陰でもある。

明日はフレックスで末廣亭!伯山師匠も出るし、宮治師匠真打口上も。楽しみ。


2013年に書いたのが最後。なのに、まだページが残ってた。amebloさんに感謝。登録してたアドレスも不明だったけど、何とかたどり着けた笑


千駄ヶ谷のkippy’s の砂糖、乳製品を使わないアイス。



ベースフレーバーはココナッツで、とてもナチュラルで優しい甘味。スプーンひとさじの試食もさせてくれます。

コーヒー豆を使ってないコーヒーフレーバーとか、レモンやストロベリー、抹茶など。
迷った挙句、抹茶とダブルダークチョコとストロベリーの3種。トッピングのチョコレートソースはアイスに乗っかった瞬間パリッパリに。

どれもしっかり味があるのにヘルシーな口当たりでぺろりと食べてしまいました。フリーのオーガニックコーヒーも美味しかった。
イマドキなアイスクリーム屋さんでした。



2013年の目標は「楽観的」


・・・と
、自分で書いてる。
そーだねー。
あっけらかんと出来るといいよな、と思ってたてた目標。

基本、あまり悩まないタイプだけど、悩むと意外と楽観的に
慣れない性格。

新しい体制になって不安がいっぱい。
明け方に見る浅い夢は、このところ仕事ばかり。。
恋バナの夢をみるのがパッタリ止まった。。

考えない、考えない。
考えたって何も解決しないんだもの。
行動するのみ。

一からスタート。がんばろう。
みんなの余力を集めたら、パワーになるんじゃないか?
そんな問いかけに賛同して集まったメンバーの会。

基本、「余力だから言えるとかやれる」というメリットを
活かしながら有機的に動かして行く会なのに、
性分なのか、どうしても「目的ありき」でしか動かなくなってる私。

「何をやりたいのか?」が議論されないまま、
余力で出来ることばかり、進んで行く事に違和感を感じた。
力のかけ具合は、各人の余力に応じてでいいけど、
みんなでどこに向かって行くのか?=目的はやっぱりいるんじゃないのかな。
でないと、アイデアも浮かんでこない。。

話し合い(飲み会)中、ずっとそんなことを考えてた。
浮かない顔してたかもなー(^^;)

会の終了後、参加していた同僚から来たメールには、
「仕事を離れて自由に発想していいといわれることが、
こんなに自由な事なのかと新発見だった」とあった。

なるほどね。
まずは「余力の時間だからこそ効果的に使いたい」という発想を
一旦は捨てて、自由に好きな事をいってみるのがいいのかもしれない。
そこからが、本当の「余力」のスタートなのかも。

余力、深いです。
ふと、このブログの存在を思い出す。
たまに書ける場所があるってのもいいもんだ。

今やってる調査の中で
「つながりを求めるがあまり、若者たちは
ソーシャル疲れしてるんじゃないか」という仮説を
若者にぶつける。

聞いてみると、デジタルネイティブの彼らだからこそ
楽しい事の反面、不満やイラッとしたりする話もポンポンでてくる。

一番多いのは「リア充アピール」!
「私はこんなに楽しい生活してるのよ」というアピール合戦だと。
女子の中では他人のウオールを見て
「楽しいことがある時は、”私だってこんなに楽しいんだ”と
(仕返しのように)アップする」という(^^;)

なんか面白い。特に女子の場合
人が楽しんでいる姿をみると、十分自分は楽しいのに、
「もっと楽しくならなくては!」と思うらしい。

そんな女子同志の「●●のパンケーキ食べた!」みたいなウオールを
男子たちは、「おめえの食べたパンケーキなんてどうでもいいよ」
とイラッときつつ、かなりチェックしてたりする。。

あとは、あからさまな「いいね!」狙いとか。
これがまた、そういう内容ほど「いいね!」が集まらない。とか。
また、「自分を大きく見せようと背伸びした内容」とかとか。

またとっても素敵なアパレル女子は、好きな人がいるんだけど
FBの場合、個人を追跡しようと思えば出来る。
追跡してしまうことで、ホントは知らなくていいことまでわかって
しまう。それが切ない事だったりするらしい。
「ソーシャルなんて、みんな一斉にやらなくなってしまったらいいのに」と。
これ切ないね。うんうん、わかるわかる。

それでも、
「だったら見なきゃいい。自分でシャットアウトすればいい」と。

なんだかソーシャルってすごい、たいへーーーーん!!!と、
聞いてて思っちゃった。

でも!彼らは何だかんだ言って、それ自体を楽しんでたり、
嫌な時は非公開にしたり、タグ付け制限したり、遅れてレスするなど
対処方法を身につけてたりする。これも一つのコミュニケーション
能力なのかも。


話を戻すと、
「ソーシャル疲れが起こっているのか?」という仮説に対しては
全くない訳じゃないけど対処術を身につけて快適に過ごしてる。
「ソーシャルを重荷だとは思わない」とのことでした(^^;)

結局、「ソーシャル疲れ」なんてのは、ソーシャルやってはみたけど
息苦しさを感じているちょっと上の世代が考えた仮説だということ。

ちょっと笑える。

そして、なぜかこれはFBネタじゃないなと思って
このブログに書いてる私も潜在的なソーシャル疲れなのか??
FBであまり気にせずなんでも書いてたるつもりだけど
グチは確かに書きにくいもんね。
いずれにせよ、自由に表現できる場所があるというのは、いいね!
何となしに自分のブログを検索したら、まだあった。

しかも最終更新日からまる1年。
こりゃ、この日付で書かなきゃなと。

月日が経つのは速い。
あと、書いてみて思うのはfacebookとはまた違う
自由さがあるのかも。

なるほど、今は、facebookやtwitterとも同期できるのね。
そりゃそうか。進化してるわね、とーぜん。